エシカルとかオーガニックとかについて最近思うこと。

 

 

最近ありちゃんのインスタに

こんな投稿があがってました。

 

 

 

 

最近“エシカルファッション”という言葉をわたしはもう使わなくてもいいかなとか考えている。
もちろんとても大切な考え方で、だけどまだまだマイナーで、
毎日誰もが必ず着るであろう“服”というものとの付き合い方を考えるきっかけとして
これからもチカラを発揮していくとは思うのだけど。
おっきな言葉でいろんなものがいっしょくたになってしまわないように、
ちいさなうつくしいものが飲み込まれて見えなくなってしまわないように、
他にも伝え方を探さないとな〜〜と!思う次第です!

 

最近わたしの考えていたことと

なんか重なるところがあったので、なんとなく。。。

 

 

 

わたしも食べ物とか着るものとかの

大量生産、大量消費による、環境問題とか労働問題とかは

見てみぬふりができないなと思って、関心を持ち始めたのが4,5年前。

多分、そのままじゃこの地球はなくなるし

知らないとこで誰かが悲しんだり苦しんだりするのはなんか嫌だな

って思って、自分のできる範囲で買うものも選択するようになった。

 

それはコトバにすれば

いわゆる、

オーガニック、エシカル、持続可能、サスティナブル、フェアトレード、、、とか

そういう類のものを選択したいってことになるんだけれど

最近、そういうコトバもあまりしっくりきていない自分がいたりする。

それは、多分、おそらく、

 

 

多様すぎて、そのコトバだけでは表現できないものがある

 

 

からなのではないかな、というわたしの考察。

 

そのコトバだけでは表現できないものがあるし、100%は存在しない。

 

 

果樹、野菜の農薬、化学肥料の話。

例えば、果樹って難しいらしいのです。

野菜は無農薬とか化学肥料不使用でも栽培はできるみたいだけど

果物はそれが本当に難しくて、その木を絶えさせないために農薬をまくこともあるみたい。

木が終わったら、もうその果物はできないから

その農薬を使うかどうかで、その果樹農家さんの未来も変わる。

でも一回つかったら無農薬っていえないよね。

 

野菜の話でも、本当は使いたくはないけど、

その年だけ病気とか虫が発生したから仕方なく使うとか。

でもそしたら無農薬、って言えなくなる。

でもそれを、生活にして食べている人に、それを使うわないでと言えるか。。。

 

 

 

服のことに関して言えば、

本当にエシカルな服ってコットンで作られるよう。

(この辺、勉強中なんでこれからまた調べますが)

わたしはあまり服が何から作られてるかまでは意識したことなかったんだけど

スローイング・ダウン・ファッションという映画で

石油からできた服は土に返らないっていうのを知って

本当に、本当に地球のこと考えたら、石油ではなく土から作られたものがいいのかなと。

でもそのコットンを栽培するためにもTシャツ一枚に何万リットルっていう水を使う。

えー、でも水も大事な資源じゃん!って思って、、、

 

なんかそんなこと考えはじめたら

100%のオーガニックとかエシカルなんってなんなのかわからなくなってきた。

 

 

 

あと、最近教えてもらったお話。

イタリアの有機農業の栽培面積は全体の14%。

それに比べて日本は0.5%。

日本とヨーロッパのオーガニック事情って違うし

普通に比べたら、規模も意識も日本の方が劣っている。

日本もヨーロッパを見習わなきゃ!って思ってたけど

そもそも、ヨーロッパの方が有機穀物の割合が多いし

単純に数字だけを並べて比べられない。

根本的に、ヨーロッパは一度自然を壊してきた歴史があるから

自然に対する反省の気持ちが根底にある。

日本やアジアは自然と共に生きてきたからそもそもの思想がちがう。

 

というのを教えてもらって

やっぱり、それまでの歴史も思想も違うから

いっしょくたんに比べたらダメなんだなあ〜って思ったり。

 

つまり、いろんな問題は多様なのです。

それを一つのコトバだけで表現するのって難しい。

 

 

 

そのコトバの外にあるものだって、たいせつ。

 

 

ありちゃんとも仲良しな

レベッカブティックのえるちゃんが好きなんです。

この投稿がとても印象的なのです。

 

 

 

 

えるちゃんがプロデュースするレベッカブティック。

一枚の服を大切にする想いはすごく伝わってくるし

一枚、一枚を大切に大切に着続けてほしいって想いがある。

いまはエブリデニムのお二人とも全国をまわって生産者のもとにも

自ら足を運んでいたりもする。

でもそのレベッカブティックの服そのものは

エシカルというコトバには当てはまらない。

レベッカの服はmade in china だし、素材もコットンなんかじゃない。

 

でも、えるちゃんのところから服を買いたいって思う。

つまりそれは、食でも服でも大切に作られた想いとか過程が大切で

それを食べる人、使う人の想いとそれを好きって気持ちが大切なわけで

そういうオーガニックとかエシカルというコトバでくくられないものがあるから。

 

 

なにかを表現するときに、そういうコトバがあるのは指標として見えやすいしわかりやすいけど

でもそれだけにとらわれないものも、あるよね。

って最近思うのです。

 

具体的に環境にいいよ、自然に配慮しているものだよ

というのも大事だけど

それと同じぐらい、その商品に込められた想いとか背景とか

そういうのも大事だと思うから。

だから同じように、いっしょくたんに

オーガニック、エシカル、というコトバだけでくくるのは

なんだかなあ〜と思いはじめたのです。

サードウェーブ系と言いましょうか。

でも、そうくくられるのもなんだかな、という感じなのです。

 

 

 

だから、なんかそういうコトバが最近しっくりきていない模様。

たしかにそうなんだけど、それだけじゃないし

その一つのコトバだけで表現しきれないよねっていう。

 

まあ、わたしなりにゆる〜く、ふわ〜と

なんかそういう系のものをすきでいるけど

まあ、あんま厳格にならないぐらいを極めていきたいと思いますねん。

 

 

 

ちなみに、今年の梅酒ができましてん。

梅はなんかわからん無農薬の梅と

なんかわからん果実酒用のリキュールと

オーガニックでもない氷砂糖だけど

まあ、それぐらいゆるくてええやん。

っていうのをゆるく、ながく続けてゆきたいねん。

という、エセ関西弁。

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

27歳会社員。静岡→東京→京都2年目。 京都、おやさい、カフェ、想いのあるものがすき。 ていねいな暮らしに憧れるズボラです。 興味ごとは、京都お店巡り、珈琲、婚活、社会のこと。 紅生姜が生姜でできてることを最近知りました。 正真正銘の童顔で中身も子どものままです。